大陵苑の芝塚を読む 天馬塚の名と皇南大塚の双丘から見える新羅
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慶州の大陵苑は、広い芝の起伏を眺めるだけで終えるには惜しい場所だ。約十二万六千五百平方メートルの園内に二十三基の古墳が置かれ、さらに大陵苑古墳群という広い墓域へ視野を開くと、目の前の墳丘は単なる景色ではなくなる。天馬塚という名が一九七三年の試掘と天馬図の出土によって定着した経緯、そして皇南大塚の双丘と発掘成果までを順に重ねると、新羅古墳群は「見える形」と「確かめられた根拠」が交差する場所として立ち上がってくる。
大陵苑に向き合うと、最初に目に入るのは慶州・皇南洞に広がる約十二万六千五百平方メートルの芝のうねりであり、その内部には新羅時代に結び付けられる二十三基の古墳が置かれている。遠くから眺めるだけでも、ひとつの墓を強く指し示すというより、ゆるやかな起伏が連なって全体の印象をつくっていることが分かる。けれども、この公園だけが大陵苑のすべてではなく、より広い大陵苑古墳群は皇南里、皇吾里、路東里、路西里へと続く墓域を含んでいる。つまり、園内で見えている整えられた景観と、都市の中に広がる古墳群の広がりとは同じ名前で呼ばれながらも、その射程が少し異なる。だからこの場所は、一つの名所を急いで確認するより、まず景観の広さを受け止め、次にその中で名が与えられた墳丘がどんな根拠で読まれているのかをたどる場所として見たほうが分かりやすい。
案内 01
芝塚の広がりを先に見る
大陵苑の魅力は、入り口でひとつの王墓を特定することより、まず園全体の起伏を受け取れるところにある。約十二万六千五百平方メートルの敷地に複数の墳丘が間を置いて並ぶため、視線は自然に一基ずつではなく、面としての風景へ向かう。芝に覆われた丸みはそれぞれ独立していながら、公園として整えられた空間のなかで互いの距離も感じさせるので、最初の印象は「どの墓か」よりも「どれだけ広い墓域なのか」に近い。大陵苑を落ち着いて読むには、この最初の感覚を軽く流さず、広がりそのものを入口として受け止めるのがよい。
その面としての印象を支えているのが、園内に二十三基の古墳があるという事実と、さらに外側には皇南里、皇吾里、路東里、路西里まで含む古墳群が広がるという構造だ。園内で見ているものと、都市の中に残るより大きな墓域とを分けて理解しておくと、大陵苑という名前をひとつの囲いの中だけに閉じ込めずに済む。反対に、この区別を曖昧にしたまま歩くと、目の前の整った園地だけで全体像を理解した気分になりやすい。大陵苑は公園としての見やすさを備えているが、その見やすさの外側にも古墳群が続いていると知っているだけで、園内の墳丘の受け止め方はかなり変わってくる。
そのうえで視線を寄せたいのが、天馬塚、皇南大塚、ミチュ王陵といった名が付いた墳丘である。名があることで景観はぐっと読みやすくなるが、とくに天馬塚は、ただ目立つ塚だから知られているのではなく、発掘と出土品によって現在の名が与えられた例として重要だ。園内に並ぶ墳丘は見た目だけなら似た丸みを共有していても、後から与えられた名称にはそれぞれ根拠の密度の差がある。大陵苑を単なる写真映えの風景で終わらせないためには、芝の起伏を楽しんだあとに、どの名がどのような証拠によって支えられているのかへ意識を移していく必要がある。

案内 02
天馬塚の名が生まれた根拠
天馬塚の現在の呼び名は、景色の印象だけから生まれたものではない。慶州市の案内では、この墳丘は隣接する皇南大塚の発掘に先立つ試掘として一九七三年に調査され、その調査過程が後の理解の出発点になったと整理されている。ここで重要なのは、先に名前があって発掘がその名を裏づけたのではなく、発掘という手順がまずあり、その結果として墳丘の呼び方が定まっていったことだ。外から見える芝の輪郭は静かなままだが、その静けさの背後には、どのように調べられたのかという順序が置かれている。
さらに、古墳番号一五五号から出た天馬図がこの墳丘に現在の名を与えた。つまり旅行者が見ている丸い土の盛り上がりはそのままでも、そこに付く名前は発掘された証拠によって定まり、外から見える景観と地下で確認された事実とが重なって初めて一つの案内語になる。天馬塚という呼称は響きだけを味わうにはあまりにも由来がはっきりしていて、その明確さが大陵苑の見方を整えてくれる。名を先に消費するのではなく、なぜその名で呼ばれるのかを知ってから墳丘へ目を戻すと、芝の盛り上がりは匿名の地形ではなく、記録によって輪郭づけられた場所として見えてくる。
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視線が集まる場所の読み方
大陵苑で人の視線が集まりやすい場所を考えるとき、必要なのは今日の混雑予測ではなく、どの墳丘にどれだけ読める根拠が結び付いているかという視点だ。園内に二十三基ある以上、すべての墳丘が同じ仕方で記憶されるわけではない。そのなかで天馬塚や皇南大塚のように名と発掘史が重なる場所は、ただ形が大きいからではなく、見える景色の先に説明できる材料があるため印象の中心になりやすい。視線が集まる理由を景観の派手さだけに求めないことが、大陵苑を表面的に見ないための第一歩になる。
一方で、広い大陵苑古墳群の存在を忘れると、旅行者の視線は園内の有名な墳丘だけに固定されてしまう。皇南里、皇吾里、路東里、路西里まで含む墓域の広がりを先に意識しておけば、園内の名付けられた墳丘は全体を代表する一点ではなく、広い景観を読むための焦点として位置づけ直せる。天馬塚に目が留まるのも、それが園内で孤立した特別な物体だからではなく、広い墓域の中で発掘の根拠がよく可視化された一基だからだと理解しやすくなる。名のある墳丘を中心に見ることと、そこだけを全体だと思い込むことは違う。
この読み方は、見どころを増やすための寄り道ではない。むしろ、景観の広さ、名付けの根拠、発掘で明らかになった範囲を順に重ねることで、大陵苑を『古墳がいくつか並ぶ公園』として消費せず、新羅の王墓景観がどのように理解され、公開されているかまで見通せるようになる。天馬塚の名が一九七三年の試掘と天馬図の出土に支えられていると分かれば、園内で目立つ場所に足を止める意味も変わる。単に有名だから見るのではなく、見えている形と説明できる事実が結び付いているからこそ、その一基に視線が集まり続けているのだと納得できる。
案内 04
双丘が残す発掘の輪郭
大陵苑の終盤で立ち止まりたいのは、皇南大塚の双丘が見せる輪郭である。ひとつの大きな盛土に見えても、公式案内はこれを双墳として示しており、並んだふたつの起伏そのものがこの古墳の第一の特徴になっている。遠目にはなだらかな芝の連続に見えても、ふたつの丘が寄り添う形を意識した瞬間、景観は漠然とした「大きな古墳」から、構造をもった一基へと変わる。大陵苑のなかで皇南大塚が強い印象を残すのは、この双丘という見て分かる特徴がまずあるからだ。
その双丘は見た目の違いだけでは終わらない。北墳と南墳からは異なる王室級遺物の組み合わせが出土したとされ、同じ景観の中に見えているふたつの盛り上がりが、発掘記録の上でも別々の内容を持っていることが分かる。ここで大切なのは、双丘という外見の特徴が、そのまま発掘の違いと一対一で単純に置き換えられるのではなく、景観として見える区別と、調査によって確かめられた内容とを重ねて読むことだ。皇南大塚は、見た目の段階で既に複数性を示しながら、記録の段階でも異なる出土内容を抱えている。
さらに慶州市の案内は、皇南大塚の二つの墳丘から約五万七千点の遺物が回収されたと伝えている。ここまで来ると、旅行者が見ているのは芝の曲線だけではなく、その曲線の下から得られた膨大な証拠の入口でもあると分かる。双丘という景観は目で追えるが、約五万七千点という数は目の前には現れない。だからこそ、この場所では見えているものだけで理解を完結させない姿勢が必要になる。皇南大塚は、景観の迫力と発掘成果の厚みが同時に存在するからこそ、大陵苑の締めくくりにふさわしい読みどころになっている。

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言い切らずに終える見方
大陵苑を歩くときの穏やかな代案は、すべてをその場で確定させようとしないことだ。園内で確かめられるのは、約十二万六千五百平方メートルの墓域の広がり、二十三基の配置、天馬塚や皇南大塚のように名と発掘の根拠が結び付いた例であり、それ以上の説明を無理に景観へ押し込む必要はない。見えている芝の起伏は確かに美しいが、その美しさだけで各墳丘の意味を言い切ってしまうと、発掘によって分かったことの重みを取りこぼしてしまう。大陵苑では、景観に感心することと、根拠の範囲を守ることを両立させるほうが、この場所の性格に合っている。
実際には、広い園域を受け止め、天馬塚で名前の根拠を学び、皇南大塚の双丘で景観と出土記録の差を確かめるだけでも、この場所の輪郭は十分に立ち上がる。天馬塚では一九七三年の試掘と天馬図の出土が現在の呼称を支え、皇南大塚では双丘という形と、北墳・南墳の異なる遺物群、さらに約五万七千点という回収量が重なっている。これだけでも、大陵苑が「名前のある古墳を順に見る場所」ではなく、名前や形がどのような証拠に支えられているかを考える場所だと分かる。外から見える曲線と、地下から取り出された証拠のあいだに少し余白を残しておくほうが、新羅王墓の景観を一つの消費しやすい物語に縮めずに済む。
その余白こそが、大陵苑をまた見返したくなる理由でもある。芝の盛り上がりは静かなままだが、そこに付いた名前と発掘の記録を順番にたどると、慶州の古墳景観は単なる記念撮影の背景ではなく、見えるものと分かったことを分けて受け止める旅先として記憶に残る。天馬塚の名が出土品から生まれ、皇南大塚の双丘が約五万七千点の遺物という見えない層を抱えていると知るだけで、園内の静けさは平板な風景ではなくなる。言い切らずに終えることは曖昧さに逃げることではなく、景観と証拠の境界を守りながら、この場所を丁寧に読むための作法なのである。
公式情報
慶州観光 大陵苑案内
Gyeongju City
大陵苑の位置、園内で名が付いた墳丘、天馬塚と皇南大塚の基本説明を確認できる公式案内です。
慶州観光 大陵苑古墳群案内
Gyeongju City
園内二十三基と、皇南里・皇吾里・路東里・路西里まで含む広域の古墳群構成を確認できる公式案内です。